大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋高等裁判所金沢支部 昭和32年(う)63号 判決 1958年5月15日

控訴人 被告人 飯田康男

検察官 須賀武雄

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮八月及び罰金弐千円に処する。

右罰金を完納することができないときは金弐百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

弁護人伊藤孝、同堤敏恭の控訴趣意は昭和三十二年五月十七日附各控訴趣意書記載のとおりであるからこれを引用する。

弁護人伊藤孝の控訴趣意第一点について。

原判決は判示第一において、その挙示の証拠を綜合し、「福井県乗合自動車株式会社の経営にかかる普通乗合旅客自動車の定期運行に専従せる自動車運転者たる被告人が昭和二十九年一月二十六日午前七時頃右会社所有の普通乗合旅客自動車(大型バス)自動車登録番号福井二-三五八二号に車掌山崎静夫を乗務せしめて運転し、右稲荷停留所を発車し福井市に向けて順次各停留所において客を乗降させ乍ら運行し、同日午前八時十五分頃同県足羽郡足羽村下稲津地籍稲津橋停留所に至り更に客七人を乗車させ乗車人員六十五名に達したのにそのまま発進し、以て右自動車検査証に記載された乗車定員四十二名を超えて乗車させた」事実を認定し右事実に道路交通取締法第二十三条第一項第三十条同法施行令第三十九条第二項第七十二条第一号罰金等臨時措置法第二条を適用し、罰金刑を選択の上、所定金額の範囲内で被告人を罰金弐千円に処したことは所論のとおりである。弁護人は右事実につき「自動車運送事業等運輸規則(本件当時は昭和二十七年運輸省令第百号として施行されていたが、同令は昭和三十一年八月一日運輸省令第四十四号により全面的に改正、廃止され、改正後の省令においても同趣旨の規定がある。以下昭和二十七年運輸省令第百号を運輸規則と略称する。)は、道路交通取締法施行令(以下施行令と略称する)を普通法(又は原則法)とすれば、これに対して優先的に適用せらるべき特別法(又は例外法)であると解すべきところ、運輸規則第十一条第二十六条第二十七条等によれば本件のような一般乗合旅客自動車において、旅客に必要な事項を指示し、乗車定員を遵守するのは車掌の任務に属し、運転手の任務に属しないと解すべきであるから、前記のように定員を超過して旅客を乗車せしめたことの責任は車掌の責任であつて運転者たる被告人の責任ではない」旨主張する。

よつて先ず右運輸規則と右施行令との関係を考察するに、運輸規則において一般乗合旅客自動車運送事業者、一般貸切旅客自動車運送事業者は、事業用自動車に車掌を乗務させなければならないものとし、運転者と車掌の服務規律を各別に規定した所以のものは、これら旅客自動車は一時に多数の乗客を輸送することを目的とするから、特にその人命身体に対する危険防止の見地より輸送の安全、旅客の利便を確保するため道路運送法の委任に基き運輸大臣が服務規律その他の細部に関する規則を定め、以て自動車運送事業の適正な運営の確保を期しているものである(運輸規則第一条)。之に反し前記施行令は専ら道路交通の安全と危険防止の目的を以て制定せられているものであることは、その根拠法規たる道路交通取締法第一条により明らかであるから、両者はその目的使命を異にすると共に、両者の規定、文理を対比するときは、各其の規律せらるべき対象を異にし、施行令が運転手に対して科した義務を運輸規則が免除乃至軽減するものではなく、施行令の定める義務の外に、運輸規則は運転手、車掌の両名に対し重畳的にそれぞれの任務を授けたものであることが明らかである。即ち此のように二個の法令が其の目的及び規律の対象を異にする場合には所論の如き普通法(又は原則法)と特別法との関係における法の一般原理は妥当しないものと謂わねばならぬ。されば運輸規則の規定を根拠として乗合旅客自動車にあつては定員超過の責任は挙げて車掌にのみ存し、運転者に対する前記施行令の義務は存在しないという解釈はとるべきでない。又これを法令制定の形式より論ずるも、原判決の説示するとおり政令より下級の省令たる運輸規則を以て上級の政令たる施行令に定める運転者の義務を排除する効力を認めることは不合理であつて、首肯し得ないところである。そうだとすれば自動車運転者たる被告人は施行令第三十九条第二項により自己の運転する自動車に対し定員を超過して人を乗車せしめてはならない義務を負担しているものであるから論旨は理由がない。

弁護人堤敏恭の控訴趣意第一点について。

弁護人は原判示第一事実につき、被告人が敢て定員を超える人員の乗車を認容した所以のものは、本件の乗合自動車が所謂通勤車であるところ沿線各地より福井市内へ急ぐ乗客が踵を接し、しかもこれらの乗客は乗車の余地ある限り競つて乗車しようと試みるため、被告人は定員超過の客の乗車を拒絶し得なかつたものであつて、此のことは何人が被告人の立場におかれても同様であり被告人には期待可能性がなく、その刑事責任は阻却されるべきであると主張する。

原審証人高木繁に対する尋問調書の記載及び原審第十三回公判調書中被告人の供述記載を綜合すれば所論のとおり、当日は一般通勤者の外に材木市場へ急ぐ材木商及び高等学校入学受験の中学生などが若干乗車した事実はこれを認めることができるのであるけれども、右のような臨時に乗客の増加すべき場合には乗合自動車運送事業を営む福井県乗合自動車株式会社は臨時に予備車の配車増発等適宜の措置をとり、以て旅客の運送に支障なからしむべきものであると共に、運転者たる被告人も亦危険防止のため自ら又は車掌に指示して定員を超過する客の乗車は、すべからく之を制限すべく、且つ本件の場合においては之を制限し得べかりしものである。乗客中には受験、入院等緊急の用件のため乗車を求めるものもあり得べく、極めて僅少の定員超過を理由に、これらの者の乗車を拒否することの非常識なることは当裁判所においても、もとより知らない訳ではない。併し乍ら如何なる場合においても、これがため交通事故を発生せしめ、又は他の原因より発生した事故に際し、定員超過の故により多数の犠牲者を生ぜしめる程度迄、定員を超える人員を乗車せしめることの非なるは謂うまでもないところであり、本件の場合は、まさにこの後段の場合に該当すること原判決挙示にかかる原判示第二事実関係各証拠により明白であり、かかる危険は決して事前に予測し得なかつた訳でなかつたことも亦これらの資料によつて、これを看取するに足るのである。所論の事情は未だ以て、被告人に対し右定員超過を制限すべき義務を期待することができないものとなすに足らぬのであつて、論旨は採用することができない。

弁護人伊藤孝の控訴趣意第二、第四、第六点、同堤敏恭の控訴趣意第三点について。

原判決は其の冒頭において「被告人は昭和十二年五月頃より足羽自動車株式会社に車掌として雇われ、昭和十六年四月頃自動車運転者となつたもので同会社が昭和十八年八月頃福井県乗合自動車株式会社に統合されてからも引続き普通乗合旅客自動車の運転業務に従事し昭和二十四年五月項から右会社経営路線中、同県今立郡池田村稲荷停留所より福井市日の出元町の区間を通ずるいわゆる池田線の定期運行に専従していたものである」と認定し、更らに第二事実につき、被告人は「前記(第一事実)のように客を満載した右自動車(以下バスと称する)を運転し、右稲津橋停留所を発し時速約三十キロの速度で午前八時二十分頃右停留所より約一キロ進行し福井市和田上町弁天地籍の二級国道福井-松本線通称足羽街道に差しかかつたのであるが、同所は前方の見透しに何等の障碍もなく、ほぼ直線状の道路であり、右道路は進行方向の左側(南西方)に流れている川幅約三百五十米の足羽川の堤防高さ約九米の上にあつて道路の幅員は約七米、有効幅員約五米五十糎で、路面の中央は両端より約十五糎高く、かまぼこ状を呈した砂利敷道であり、又道路右側(北東方)は高さ約九米の下方に流れて道路と併行に、幅員約二米七十五糎、深さ一米三十糎、水深五十八糎位の栂野排水路に接し、当時降つてはいなかつたが、路上には約九糎の積雪があつて、其の表面は氷結しており極めて交通に危険性のある地点であるところ、被告人は前方(北西方)約百米余りの地点の左側の轍の上を、同方向に前進する自転車塔乗者平井高志(当時四十二年)を発見したので、時速約二十五粁に減速して右バスを進行させ、右自転車の後方に迫つたのであるが、此のような状況下において先行の自転車を追越そうとする際はバス運転者としては、自転車の方向転換は自由であり且つ自転車塔乗者が積雪及び敷砂利のため、その操縦を誤り、又は転倒する虞れあること等を考慮し、警笛の吹鳴又は呼びかけ等追越の合図をしてこれを了知させ、できる限り、自転車塔乗者を左側に待避させて、絶えずその動静及び道路の前後左右を注視し自動車を安全に進出させ得ることを確認した上、可及的に道路の右側へ避譲するか、若しくはバスを随時停車させ、又は安全な個所に避譲し得るよう適度に減速のうえ徐行する等の適切な措置を講じ、以て前行自転車塔乗者に対する追突、これに基因する自己の運転するバスの横転等による乗客の死傷等の事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、被告人は右平井高志の自転車による前行を認めて単に警笛を吹鳴したのみで、漫然往来の中央より約九十糎左側にそれた地点を中心として約九十五糎の間隔を以て、つけられていた二条の轍(幅員約六十五糎)の上を進行し、自己の運転するバスが右自転車の後方約二十五米の地点に迫つた際、右平井高志が被告人の運転するバスに進路を譲るべく自己の進行していた左側の轍左端から約六十糎左方足羽川寄りに避譲して、敷砂利の部分に、未だ踏みつけられていない積雪中を進行したことから、依然バスをそのまま轍上を通行させても安全に追越し得るものと軽信し、不注意にも余地十分にある右側(自動車の右側と道路の右端迄の間には少くとも約三米五十糎あつたのであるから道路の有効幅員を考慮に入れても尚右側へ二米余避譲しつつ追越し得る余地があつた)に少しも避譲することもなく、又特に減速の措置を講ずることもなく、漫然前記のとおり時速約二十五キロで、右側から同自転車を追越さんとして、自転車の右後方約四米五十糎の地点に進行したとき、右平井高志が積雪及び路面の勾配のため、自転車の操縦を誤り、突如自転車もろとも左側轍を超えてバスの左側に直接に転倒しかかつて来たので、被告人はこれとの衝突を避けるべく、急遽右折して、制動措置を講じたが、右速力及び道路の状況のため、適所に急停車することができず、バスは道路の右端に向つて進行し、狼狽してハンドルを右方(原判示に左方とあるは右方の誤記と認める)に切つたが及ばず、右平井高志の転倒を発見した地点から約十三米斜右方に進行した地点において遂に右前車輪が道路右端からはずれ、約九米下方の前記栂野排水路中に右バスを、進行方向に向つて右側を下に転落させるに至り、破損個所から車内に約四十糎浸水したため、恰かも転倒して下積となつた乗客は進退の自由を失い、水中に浸るに至つたのであるが、右事故によつて、別紙目録(一)記載のとおり乗客三田村善一外九名を同所において溺死させ、車掌山崎静夫に頭蓋骨骨折の傷害を負わせて即死させ、更らに別紙目録(二)記載のとおり乗客家継正慶外三十五名に夫々傷害を負わせたものである」と認定したことが明らかであり原判決挙示の証拠によれば原判決がバス運転者たる被告人に対し右の事案に即して前記の業務上注意義務を判示すると共に被告人の過失責任を肯認したことは正当であると認められる。

弁護人は「被告人は毘沙門橋から栂野停留所に至る迄の短距離間で自転車に搭乗せる斎藤勇夫を二回、丸山主税を一回追越したのであるが、これら三回の追越の場合には両人は共に道路の左端から約一尺位のところに避けて、そのまま自転車を走らせており、これに対し被告人は別に方向及び速度を変えることなく、これらの自転車を左方に見て進行した。被告人は此の三回の経験と平井高志が避譲に対しとつた措置が其の方法地理的関係及び追越の場合における両者の間隔距離等の点において斎藤勇夫、丸山主税の場合と殆んど同一であつたこと及び避譲後における平井高志の自転車の操縦振りについて微塵の危つ気もなく、ふらつくような素振りは全然見えなかつた事実等に鑑み安全に平井を追越し得るものと信じていた。即ち被告人は交通の安全を確認した上で追越そうとしたものである。又被告人は施行令第二十四条の規定を遵守し警音器を反覆吹鳴したのは、勿論、前車の右側を通行すべき進路にバスを走らせ、以て同条の注意義務を厳守したのである。従つて本件事故の発生は不可抗力であり被告人には自転車転倒の予見可能性もなく過失もない。然るに原判決は右の事実を誤認すると共に、法律上条理上若くは経験則上必要とする以上の注意義務を被告人に強うるもので原判決はバスの運転者が遵守すべき注意義務に対する解釈を誤つている。」と主張する。

成程所論援用の証拠によれば被告人は毘沙門橋から栂野停留所に至る迄の間において自転車に搭乗せる斎藤勇夫を二回、丸山主税を一回追越しており、且つ右斎藤及び丸山は共に道路の左端から約一尺位のところに避譲しつつ自転車を走らせていたこと、被告人は之に対し格別方向及び速度を変えることなく右の自転車を無事に追越しした事実を認めることができる。併し被告人が右斎藤及び丸山の両名を追越す場合にも法律上原判示と同様の注意義務が要請せられているのであるが右の場合には幸いにも結果として死傷の事故が発生しなかつたから過失責任の有無を論ずる余地がないのみであつて、右の場合に万一、事故が発生していたならば矢張り被告人の過失責任を問擬される余地があり得るのである。

従つて本件の平井高志が避譲に対しとつた措置が所論の如く其の方法地理的関係及び追越の場合における両車の間隔距離等の点において前記斎藤、丸山両名の場合と殆んど同一であり、平井高志の自転車の操縦振りにつきふらつくような危険な素振りが見えなかつたとしても、被告人は交通の安全を確認したことにはならず業務上の注意義務を尽した根拠となすに足らないのである。又被告人が所論のとおり前車に対し警戒させるため警音器を吹鳴したこと、前車たる平井高志が此の警音器吹鳴を聞き道路の左側に避譲したこと、その結果被告人は平井高志の自転車の右側に当る轍上をそのまま進行しようとしたことは所論のとおりである。併し被告人が施行令第二十四条所定の追越の場合における右側通行と警音器吹鳴の二点を履行したとしてもその事のみより直ちに被告人は業務上の注意義務を十分に尽したものと速断することはできない。蓋し運転者たる被告人は追越に際し交通の安全を確認すべき義務あることは施行令第二十四条の明定するところであり、所論の右側通行と警音器の吹鳴等の合図により前車に警戒させることはいずれも右交通の安全を確認すべき一の例示的手段にすぎず運転者は右の手段を尽すと同時に交通の安全を確認し危険防止に努むべき義務を有するものと解すべきであるからである。即ち本件において道路はかまぼこ型を呈し、従つて道路の両端には若干の勾配と敷砂利が存すること、道路上には約九糎の積雪が存し之が凍結していたことはいずれも被告人の熟知するところである(右認識の存在は原判決挙示の証拠により認められる)から平井高志の搭乗する自転車が後方より追尾する被告人のバスを避譲せんとして道路の左端側の雪の中に移行した場合、自転車の操縦は轍上を進行するよりも必ずしも容易ではなく、従つて平井高志の自転車は敷砂利による路面の凹凸及び勾配並びに積雪の氷結等により転倒するかも知れないことは被告人において当然に予見し得べかりしところに属する。

而して被告人に此の予見可能性あるにも拘わらず之に対する危険防止のため首肯し得べき適当な措置をとらなかつた点に被告人の過失の第一段階が存在するのである。その危険防止の措置とは徐行又は轍の右側への避譲が経験則上考えられるのである。

そこで先づ徐行の点から考察しよう。前説示のとおり被告人は其の進路前方に平井高志の搭乗する自転車を発見してからも従前の時速三十キロを時速約二十五キロに減速したまま進行したものである。弁護人所論の如くたとえ、被告人がそれ以下に若干減速したものであるとしても前説示のとおり被告人は平井高志が自転車もろとも転倒するのを発見し急遽制動措置を講じ、狼狽してハンドルを右方に切つたのであるけれども、右自転車の転倒を発見した地点より約十三米斜右方に迄進行してしまつた事実に徴すれば弁護人所論の如き減速も結局危険の防止にはその効を奏しなかつたものと謂わねばならぬ。即ち此の場合危険防止のためには制動措置を講ずれば直ちに急停車し得る程度に迄徐行することが肝要なのである。被告人が現に制動措置をとりつつも尚約十三米も前進してしまつた事実は被告人が適切な徐行措置をとらなかつた事を証明して余りあるところである。殊に本件道路は当時積雪があり、それが凍結していて辷り易い状況であつたこと、乗客が多数であつて車輌の重量が極度に増大していたこと及びそれらの事情はいずれも制動措置に対する大きな障碍であることはバス運転者たる被告人の熟知せるところであるから、かかる事情を認識せる被告人としては尚更危険予防のため徐行の必要を痛感すべかりしものである。

(弁護人は又しきりに本件定期運行バスが高速度交通機関たることを強調して被告人の過失責任を肯定した原判決を論難する。当裁判所も亦本件定期運行バスが高速度交通機関たることは十分之を承認するところではあるけれども併し、本件の如き死傷事故発生の防止と高速度交通機関としての公共的使命との法益の重要性を比較するならば前者を以て重しとしなければならぬのである。高速度交通機関の使命も重要であるけれども、併し、人間の生命身体に対する法益は、より一層重要視しなければならぬのであつて、其の本末を転倒して、被告人の刑事責任を見誤ることがあつてはならない。)

次に本件バスの右端と道路の右端との間に少くとも約三米五十糎の間隔が存し、道路の有効幅員を考慮に入れても尚右側へ二米余避譲し得る余地があつたのであるが、被告人は些かも避譲せず、依然として轍上を進行せんとしたのである。此の点も亦被告人が危険防止のための適切な措置をとらなかつたものとして非難せらるべきである。而して被告人が右の前行自転車に対する危険予防のための適切な措置を講じなかつた過失の第一段階は更らに次の第二段階に発展して行つた。即ち被告人は平井高志搭乗の自転車との衝突を避けんとしてハンドルを右方に切つたため前示のとおり約十三米斜右方に進行した地点において遂に本件バスの右前輪が道路右端からはずれ、約九米下方の栂野排水路中にバスを転落させたことがそれである。而して右過失の第一段階及び第二段階が相俟つて被害者に対する一個の過失を構成しているのである。

弁護人は右過失の第二段階につき路肩(道路端)が意外にも軟弱で土壤崩潰の結果バスの右前車輪がはずれたのであつて、もし路肩が鞏固であつたならば運行可能であり、本件事故は発生しなかつたものである。即ち本件事故は土壤崩壊なる結果に基くもので不可抗力に基くものであると主張する。

成程司法警察員佐藤勇作成の検証調書の記載(記録百三十二丁裏)及び原審第四回公判調書中証人小林正治の供述記載(記録二百二十九丁以下)を綜合すれば本件道路の路肩の土質は、中央部よりも稍々軟弱で本件バスが栂野排水路に転落した車輪跡の路肩の部分には若干の土砂の崩落が認められる。併し乍ら本件の発生が不可抗力であると謂い得るためには少くとも被告人において本件の発生を予見し又は予見し得べかりし範囲(従つて被告人において支配可能な範囲)以外の場合でなければならぬ。然るに、右のように路肩の土質が道路中央部と比較して軟弱であることは経験則上明らかなところであつて、本件バスの如く当時いわば超満員のバスを本件堤防上の路肩に迄進行せしめれば路肩の土砂が崩落することは運転を業とせざる通常人と雖も容易に之を予見し得るところであり、運転者たる被告人の予見可能なことは謂うを俟たないところであつて、矢張り被告人の支配可能な範囲に属するものとしなければならぬからである。よつて本件事故の発生が被告人の予見し得ないところであつて土砂崩壊による不可抗力に基因するとなす弁護人の主張は容認し得ない。

次に弁護人は平井高志の行動が本件事故発生に重大なる関係を有するに拘わらず原判決は此の事情を判断していない旨主張する。

当裁判所も亦平井高志が被告人のバス操縦の誤りに重大なる原因を与えたものであることは決して之を看過してはならない点であると思料する。従つて平井高志が被告人の操縦に与えた影響は犯情として十分之を斟酌すべきものである。併し乍ら平井高志の法律上の責任が如何なるものにせよ、之がため被告人の刑事上における過失責任は阻却される理由がない。従つて原判決が平井高志の責任を検討した旨判文上に明示しなかつたからとて何等その必要もなく違法でもない。

以上被告人のバス運転者としての行動を検討すれば法律上は勿論条理及び経験則上も過失の責任を免れることはできない。されば原判決には所論の如き事実の誤認、法令解釈適用の誤はなく、所論援用の判例も事案を異にし本件に適切でないから論旨はいずれも採用し得ない。

弁護人堤敏恭の控訴趣意第二点について。

弁護人は原判示第二事実について本件バス転落の事故に対する被告人の責任を問擬するためには単に自転車の進入乃至転倒を予見したに止まらず更らにこれを避ける場合にバスが堤防下に転落する危険を伴うことをも被告人において予見し得た筈であるにも拘わらず斯かる予見の義務を尽さず事故を惹起したところに被告人の過失があつたとの事実を認定するのでなければならない。然るに原判決にはかかる判示をなさず、たやすくバス転落の事故迄も被告人の責任とした原判決は理由齟齬の違法があると主張する。併し原判文を仔細に検討するときは其の措辞必ずしも完全であるとは云い難い点があるにもせよ、前行自転車に対する注意義務のみならず自己の運転する自動車の横転等による乗客の死傷等の事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務の存在を判示した上、当時の周囲の状況、被告人の行動及び過失の内容を具体的に縷々説示し、よつて被告人の過失の前記第一段階及び第二段階を判示し以て終局的には本件バスの排水路への転落と之に基く乗客等の死傷の結果を判示しているのであるから所論の如き理由齟齬の違法は認められず論旨は理由がない。

弁護人伊藤孝の控訴趣意第三点について。

弁護人は被告人の操縦進行せるバスの直前約二米程の距離において、同進路上の左方に避譲進行していた平井高志がその搭乗する自転車諸共右横に横転せんとする事態を現出し、平井高志は将にバスで轢圧せられんとする危険に瀕したのである。其の刹那急遽ハンドルを切つて其の進路を右方に変え辛うじて轢圧を防止し得たのであるが、被告人のとつた措置は焦眉の急に迫つている危険を防止するための応急対策としては極めて適切妥当にして且つ必要不可欠のものであつて、何人を被告人の地位においても右以外に対処すべき手段方法は、絶対に存在しなかつたのであるから、被告人に右の措置以外の他の適法行為を期待し得ず、従つて期待可能性がないから其の責任は阻却さるべきであると主張する。

一般論として普通人が被告人と同一の地位状態の下におかれても違反行為に出でざるを得ず、他に適法行為をなすことを期待し得ない場合であれば期待可能性がないものとしてその刑事責任は阻却さるべきである。併し本件における弁護人の主張をみるに本件バスが右自転車の直後数米の地点に迫つた時より事故発生迄の刹那的な局部的事実を捉え、その断片的な事実のみにつき論議の焦点を向け、その他の部分について眼を掩い之に法律的評価を加えない態度は事案の正確を得た主張とは言い得ない。本件においては前記説示の如く被告人の当時の経歴、勤務状況、道路、地形、交通の状況被告人の認識内容並びに被告人が其の操縦せるバスの進路前方約百米の地点に同方向に進行せる平井高志の自転車を発見した時から本件事故発生迄の間の事実を全体として規範的に評価し判断しなければならないのである。而して本件期待可能性の問題は前記業務上の注意義務、不可抗力乃至過失責任の問題と表裏一体の関係をなす問題であるから当裁判所はこれらの点に関する前記説示を援用し、弁護人の右主張を排斥せざるを得ない。

弁護人伊藤孝の控訴趣意第五点、同堤敏恭の控訴趣意第四点(いずれも量刑不当)について。

記録を精査し、被告人の性行、経歴、本件犯罪発生の原因、過失の態様、犯罪後の状況等量刑に影響すべき一切の事情を斟酌するときは原判決が被告人に対し禁錮一年及び罰金弐千円の刑を科したことは其の量刑稍々過重なるものと認められるのであつて此の点において論旨は理由があり原判決は破棄を免れない。

よつて刑事訴訟法第三百九十七条第三百八十一条に則り原判決を破棄した上、同法第四百条但書に従い次のとおり判決する。原審認定の事実(但し原判決第三枚裏、終りより二行目中「左方」とあるは「右方」の誤記と認められる)を法律に照すに被告人の判示第一の所為は道路交通取締法第二十三条第一項、第三十条、同法施行令第三十九条第二項、第七十二条第一号、罰金等臨時措置法第二条に、判示第二の所為は刑法第二百十一条前段、罰金等臨時措置法第三条第一項第二号第二条に各該当するところ右は同時に多数人に死又は傷害を与えたものであつて、一個の行為にして数個の罪名に触れる場合であるから刑法第五十四条第一項前段第十条を適用し、犯情の最も重いと認める山崎静夫に対する罪の刑に従い、一罪として処断することとし、各その所定刑中判示第一の罪については罰金刑を、判示第二の罪については禁錮刑を夫々選択し、以上は刑法第四十五条前段の併合罪であるから同法第四十八条第一項本文に従い罰金刑と禁錮刑とを併科することとし、各その所定金額及び刑期範囲内で、判示第二の罪については前記量刑不当の控訴趣意に対して説示した量刑事情を斟酌し、被告人を禁錮八月及び罰金弐千円に処し、右罰金を完納することができないときは、同法第十八条により金弐百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。原審及び当審における訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項本文を適用し全部被告人に負担させることとする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山田義盛 裁判官 沢田哲夫 裁判官 辻三雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例